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2013-02-21

体罰に関するごく私的な浅慮

2月14日のweb記事でこんなのがありました。

中学教諭、女子生徒の頭たたく 授業中に携帯電話触り

この記事はおそらく現在議論の渦中にある「体罰」に関して教育現場でこんなことが起こっていたことがわかりましたなんていう紹介記事なのでしょう。しかしながら、現在渦中にある「体罰」とこの記事の内容は似て非なるものだと思うのです。

一方は、体罰が選手の指導方法・指導ツールとして容認されている風潮への是非。こちらは、「授業中、教員のいうことを聞かずしかも、その後呼び出しで指導されても尚非を認めない」生徒に対する、言ってしまえば、やらなきゃいけないことをせずに携帯さわっているって人としてどうなのよ?というある種の憤り、を感じた教師による体罰。

以下、私の想像。
生徒:新しい携帯を買ってもらってうれしいなぁ。わーこんな機能がある。楽しい楽しい。あー教師がなんか言ってるけど今は授業より携帯なのさ。おっと、あの子にメール打たなきゃ。おお、ゲームもしなければならないね。わーいわーい。

教員A:今、授業中なんだけど。なんか一人携帯いじくっている生徒がいるなぁ。今解説しているところって大切なんだよな。あー、ちょっと気になる。周りの生徒も集中力切れ始めてる。ねぇねぇ、そこの生徒、携帯触るのやめて。今大切なところだからさ。人の話の最中に携帯触るのはおかしいんじゃない?ねぇねぇ、ちょっと。やめろってば。あークラス全体の空気が弛緩しはじめた。あーもう、授業になんないや。え?授業終わっちゃった?あー、計画通り授業できなかったや・・・・
(職員室にもどって教員Bに)生徒が携帯いじくっててさ注意してたら時間切れだよ。
あー、もう嫌んなちゃうね。

教員B:それはいけませんねぇ。今後そのようなことがないように指導しましょう。
呼び出し!
あれ?なにこの生徒。携帯さわったことは認めてるけど、なにこれ?は?それが悪いことだとは分からない?ほかの生徒の悪影響で授業に差しさわりがあるんだよね。いやさ、おかしいだろそれ。は?これだけ言ってもわからないの?言い訳ばかりしてるし。素直に非を認めろ~~~。パシッ(体罰発動)

ってなところでしょうか。以上想像終わり。

まず、問いたいのが「親は何を躾しているの?どういう教育しているの?」ということ。最近の日本の風潮では「トイレの仕方から、時計の読み方、友達のつくり方など躾を含めて全て学校がやるべきもの」らしいのです。親は一個人としての行動できるだけの躾担当、学校は集団行動での躾担当でしょう。学校は必要最低限とされている知識の習得のためにあるもの。それの付加価値として集団行動での躾があると考えています。

第二に、体罰が悪いのはわかっているけど、こういったケースに学校はどういう風に対応すべきなのか?ということです。昔のように、言っても聞かない生徒はパシリと叩いてわからせる、というのはダメ。で、こんこんと言って聞かせるわけですがここに落とし穴。なぜか教育現場は保護者に対して非常に弱いということ。なにかあればすぐに教育現場側が謝罪することになる。特にこの場合、義務教育の現場です。もっと強く出れないのかなぁ・・・。

義務教育とは「子弟が教育をうける義務がある」ということではありません。子弟は教育を受ける権利がある。子弟が教育を満足に受けられるよう保護者、教員、公共団体他が一丸となってその権利を阻害する全ての障害を取り除く義務があるわけです。教育を受ける権利を持つ子弟がその権利のありがたさを判らず、授業中におかしなことをやってそれが教室全体に悪影響を及ぼしているのであれば、当然、教員としてはその障害を取り除き、他の生徒の学ぶ権利を今後にわたって保護しなければなりません。

この記事の場合はその過程で起こってしまったことなのだと同情的に受け止めています。なぜ、体罰をした教師に同情をするのかって?なぜなら今私も同じ「義務教育」の場で教鞭をとっているからです。そして同じ境遇です。

こちらの生徒は非常に活発。活発すぎて授業中もずっとおしゃべり。立ち歩き、教室からの逃亡、授業に全く関係のない質問(数学の時間に日本の歌うたって!と突然リクエストが来る)いわば、「授業中とか全く関係なく、そのとき、やりたいという衝動があればそれに従う」生徒が大半です。クラスコントロールが非常に難しい。
現地の同僚教員はそれを力で抑え込みます。こちらも体罰に関する原理原則は「生徒に触るな」です。しかし力で抑え込んでいます。どうやってかというと罰則として「細い木の枝で生徒の手のひらをたたく」のが黙認されているのです。
日本の感覚だと、手で叩くのはダメで木の枝だといいの?ですが、いいらしいです。
日本でやったら体罰通り越して暴行事件モノですが。

もう一つ、日本と決定的に違うことがあります。それは学校の権力・権限が非常に高くそれを校長がもっている、ということです。校長の「暴走」を止めるためにPTAの強化版に当たる保護者と教員で構成される「学校員会」も設置されています。いわば監視役ですね。

いくら指導しても改善の兆しがみられない生徒に対してどうするか?ということですがまず第一段階が「親(保護者)呼び出し」です。親(保護者)の言うことも絶対なので、親(保護者)の目の届いていないところでどうしているのかということを親に知らせ、親(保護者)とともにお説教です。これの欠点は育児放棄をしている親(保護者)が結構多く、呼び出しに応じない親もいるということです。第二段階としては「停学」です。日本の高校と同じシステムですかね。それを義務教育に取り入れています。

第一段階を経ても改善の兆しがない生徒は、いろんな教室で問題を起こしているはずなのでその「証拠」を教員から集めます。教員はあらかじめ決められた書式(ノート)に生徒の問題行動を記録する義務を持っています。その証拠を集めるわけですね。そして、「こりゃだめだ」ということになれば、校長が学校員会にその生徒の停学に関しての会議の招集を求め、会議が行われます。そして学校員会が承認をすると、校長が「停学」の決定を行います。当然、その会議には当事者と親も呼び出され、弁明の機会が与えられているようですがここまでくると親も弁明のしようがありません。
生徒は一生懸命言い訳をしますが後の祭りです。そして、停学の記録は生徒の履歴に残ります。これは日本の高校に相当するシニアスクールでの入学許可の可否に響いてきます。響くことはわかっても、「今したいことをする」生徒にとっては将来のことなのでピンと来ていないのが残念なところです。学校行かなくてラッキーな感じになるんでしょうね。実際停学を受けた生徒は、そういう生徒が多いです。

ちなみに、一番重い罰則は「放校(学校追放・強制転校:受け入れの学校は自分で探しなさい)」というもの。私の記憶の中では、私の授業中、素行が悪かったので注意したところ「生意気だ。外に出ろ」と私に言い放ち外にあったこぶし大の石を2個私に投げつけた生徒、一人だけです。

さて、日本の場合。日本の教育現場の権限が非常に弱いのはなぜでしょう?いくら義務教育とはいえ、他人の権利を妨害してまで自分の「やりたいこと」を押し通している生徒にはそれ相応の罰則を与えるのが筋だと思うのです。
こんこんと指導(説教)している時間も実際のところ、教員にはないでしょうし。日本の教員の教務以外の雑務、非常に多いらしいですね。大変です。日本も、校長に権限を与え、言っても聞かない生徒には停学処分ができるようなシステムを導入してもよいと考えます。停学の履歴を残すようにすれば、それが抑止力になることを期待して。

市町村教育員会もいちゃもんをつけてくる親(保護者)に対してもっと強気に毅然とした態度で対応して欲しいです。なぜできないのか私にはわかりません。

2012-10-19

乗り遅れます。【延長マニュフェスト!?】

青年海外協力隊の任期は特別な場合を除き通常2年です。特別な場合とは例えば

  • 活動期間が初めから1年と区切られていたとき。
  • 何らかの事情で、2年の任期を短縮し活動終了としたとき。
  • 任期延長が認められたとき。

などです。

予定を延長して6か月間ナミビアで活動を続けることとなりました。本来載るべきであった飛行機に「乗り遅れ」るわけです。

私は約2年の間、なんとか「結果」「成果」を出すために行きたい旅行にもほぼいかずひたすら任地に留まって活動を続けていました。移動時間も含めて私的な旅行に行ったのは9日くらいです。初日の出を見にナミブ砂漠へ一泊二日、同期の赴任地へ遊びに行ったのが二泊三日。それぞれ移動時間が丸1日ずつかかるので+4日といった内容。

任地と配属先にとどまり続けた甲斐あって満足のいく成果が残せそうですがまだまだです。
延長する6か月間で何をするのかここに書きとどめたいと思います。

2012-09-05

いじめとコミュニティー

IMGP00001(22)日本の文部科学省ではいじめを次のように定義しています。
”当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。”
手元の電子辞書によると英語で「いじめ」はbullyと訳すようです。
また相手を悩ます度合いは
tease, bother, pester, nag, worry, plague, harassとあります。
日本での議論は、plague/harassの意味合いの「いじめ」でしょう。harassはセクシャルハラスメントとかパワーハラスメントで知られている単語です。
『どこの社会でもいじめはあるんだよ』なんていう人もいますが、この場合はteaseだったりbotherを意味しているのだと信じたい。まあ、甘い考えですが。
政治家がずいぶん昔に私人だったころの過去を暴きだし、書き立て騒ぎ立てるのも一種のいじめですし。
大人の社会、会社でもいじめはあります。
「こいつ気に入らないからあることないこと吹聴してやろう」
から始まって
「この契約社員、ナマイキだから契約更新しないでおこう」
まで。
大人の場合は、まだ逃げ道がある。
昨今の状況では難しいですが所属する組織を変えればいいのですから。
なんだこのやろう、とポカリと殴っちゃったら大変です。傷害罪で捕まっちゃいますから。
子供の場合は、逃げ道がほとんどない。
「子供がいじめられているから転職して別の地方へ行こう」なんてケースは稀だと思います。
それよりも踏みとどまって子供のために何とか解決の糸口を見つけようとする保護者の方が大半ではないのでしょうか。それだけに、地域のつながりを・・・と言いたいところですが”向こう三軒両隣”の住人すら知ることのできず、道行く子供に挨拶しただけで警察に通報されるような世の中ではこれまた難しいでしょうねぇ。
さて、初の海外経験であるナミビアで滞在20か月を経過しました。
配属先の中高学校に限っての経験ですが紹介します。
ナミビアで、いじめはあるかどうかと問われれば、「あります」と言わざるを得ません。
ただし、どんなに悪質でもtease/botherどまりです。
ナミビアのいじめはtease/botherでありそれ以上発展することはありませんしありえないと感じています。何故か?
例えば、授業時間に、女子生徒Aが「ペンをこいつ(男子生徒A)がとった」と騒ぎ、泣き出したとしましょう。すると周りの生徒が囃し立て、盗ったとされる男子生徒Aのカバンを取り出して漁りだすこともあります。漁りだした生徒BCDが、どさくさに紛れてその男子生徒Aの持ち物を盗る。男子生徒Aが反抗し盗ったものを女子生徒に返して(お前かぁ!!)、盗られたものを取り戻そうとする。それを見た友達の生徒EFGが生徒BCDに向かっていく。無関係だった生徒HIJが向かっていった生徒EFGを制止しようとする。それを見て興奮した生徒KLMNが喧嘩を始める、最初に騒いだ女子生徒Aは友達の女子生徒XYZとおしゃべりをしだし、ついには歌を歌いだす、切り替え早っ!!・・・といった感じです。(この間2分)
ええ、授業時間なのでこの時点で教室崩壊です。毎度のことながら授業計画通り進みません。
どうリカバリーしようか悩まされます。真の意味でいじめられているのはたぶん私。
学校の生徒は、大きく分けて4つの部族(母語が異なる集団)に分かれます。
日本のようないじめが発生しえない土壌です。何故かバランスが取れているのです
たとえば、母語の同じグループ内で仲間外れになったりすると、別のグループと仲良しになります。一人が抜けるとそれだけ人数的勢力(?)が衰えるのが嫌なのか、いつの間にか元に戻ります。
体の小さい生徒が大きい生徒に意地悪をされたりすると、それぞれ母語が異なる体の小さい生徒が団結しだします。
男子生徒が女子生徒に意地悪をすると、その場で殴り合いのけんかになるか、その場の女子生徒全員から手痛いしっぺ返しがきます。
女子生徒が男子生徒に意地悪すると、「あの子はあの男子に気がある」とうわさになり、もう青春です。
生徒はその場その場で、立ち場所をいい意味で替えバランスを取っているのです。
生徒の属する集団がいくつかあり、異質性を嫌でも認識させられ、それを認めない限りコミュニティーに入れないのです。「自分と異なるもの」を認めないと、自分自身も認めてもらえないという意味です。先の例でも、その属性がなんらかの関連性をもっていると推測されます。
翻って、日本はどうか? 
ほんの少しの異質性(しかもそれは本人の意思ではどうにもならないもの)を探しだし、それをネタにいじめを開始する。いじめる側の人間は、いじめることでなんだか優位性を持てたような気がする。周りの人間もなぜかその優位性を認め、その優位性にあやかろうとする。
その結果が「見て見ぬふり」なのではないでしょうか。
子供の世界は社会の縮図であり、大人社会の鏡です。
いじめは子供特有の問題ではなく、社会(コミュニティー)全体の病巣を映し出しているのだと思います。前述のとおり、自宅近くの道ですれ違う人に挨拶すると、怪訝な顔をされたり警察呼ばれたり、そんな社会は歪なのだと、こちらに来て確信に近いものを得た気がします。
コミュニティーの歪さ、これが日本での「いじめ」の根っこにあるものの一つではないでしょうか。そんな気がしてならないのです。
注)写真と本文の内容とは関係ありません。丘の上からみたウサコスの町並みです。丘の上に上っているときにつらつらといじめについて考えていた、ただそれだけです。

2012-02-23

留年制度

ナミビアには留年制度というのがあるというのはこのブログで既に紹介しております。
新たに判明した事実・情報を追加するつもりでこの記事を書きます。
日本では、中央政府が絶大な権限で指導内容をコントロールしているのでどこの学校でも同じシステムで均一な教育を受けることができます。
これは地域に合わせたきめ細かな指導は困難になるということでもあります。
一方ナミビアでは、ある程度の権限、例えばシラバス(指導要綱)によって評価方法、教える内容などを決定する、はありますが学校運営に関してはその地方教育組織(Regional Office)がいくつかの指針を決定し、地域の校長会で指針を選択、学校に持ち帰って施行、というシステムのようです。
校長も日本と比べればけっこう大きな権限を持っていて、生徒の退学勧告のための会議の招集、全年間予算の承認・実行などもできます。当の校長は、「私なんて権限無いわよ。スクールボード(日本のPTAの超強力版、学校の諮問・監査機関のようなもの)の方が権限あるわよ」なんていってますけれど。
ちょっとわき道にそれます。
教室でヤンチャなことをして授業に参加しない生徒も校長室に連れてくとそれはそれは大人しくなります。”借りてきた猫”ってこういう感じだ!なんて日本の比喩表現の再確認もできたりします。
「校長室に一緒に行こうか?校長先生はなんて言うかな?」が生徒を大人しくさせる魔法の呪文。
各学期とも、シラバスに基づいて生徒の成績をAからUまでつけます。
グレード
理解度(取得数値)
コメント
A 80%以上 全科目通して、学校に一人いれば奇跡。
B 70%から79% 学年で1人いると教師も鼻高々。
学校の成績優秀者として表彰されるレベル。
C 60%から69% ”できる子”のライン
D 50%から59% ”おーよくがんばったねー。”のライン
E 40%から49% 数学・物理の合格ライン:ギリギリセーフ
F 30%から39% 数学・物理以外の合格ライン:ギリギリセーフ・数学・物理はこのライン上をさまよっている生徒が大半
G 20%から29% 不合格
U 0%から19% 不合格:このラインにいるのは「テストを受けていない」生徒。40人のクラスで2~3名。

殆どの教科が学期中に小テスト(Topic Test)2回、小課題(Topic Task)2回、科目研究(Project)1回又は調査(Investigation)1回などの結果を平常点とし、期末テストの結果とあわせて数値化して絶対評価を行います。
評価に使用するテスト結果の比率が大きいので殆どの場合、テストの結果如何によって成績が左右されるというのは議論の余地があるものの公平なシステムとなってります。年度の成績は、1学期・2学期の成績+3学期単体の成績をシラバスにのっとった数式に代入して数値化、合否判定となります。
日本も義務教育の時点からこのような留年制度を日本独自にカスタマイズして採り入れればある一定の学力(最低学力)のを保つことができるのではないでしょうか。
飛び級制度も同時採用する必要もあります。
日本の義務教育の場合、生徒の能力はナミビアに比べれば高いのでまさか年間を通して学んだ事柄の理解度が30%未満ってことはないでしょう。(希望的推測)
日本独自の問題点として落第した生徒のケアがあげられます。みんな一緒でなくともよい、ということを社会全体が理解する必要があります。
大学入試における浪人程度の認識でいいんじゃないのかな。

2012-02-22

ウソの情報、ホントの情報。

Facebookでみかけた「ハーバード大学図書館、朝4時の風景」「ある航空会社の神対応」

どちらも事実ではない記事だそうな。事実ではない=作り話、です。

これに対して悪い意味でデマと断罪し、これらの話をフェイスブックのシェア機能やTwitterのリツイート機能を使って拡散してしまった人も含めて悪いことだと嘆き、警鐘を鳴らしている方もいらっしゃいます。

私は、この警鐘に懐疑的なのです。

人が手に入れられる情報(information)には二つの種類があります。

一つ目が実験、調査などで得られた素の「生の情報」=データ(data)
これは数字などで表され、ほとんどの場合再現可能なものです。

二つ目がデータを解析・分析して得られる「結果の情報」=アナウンスメント(announcement)
これは、データをもとに生身の人間がその人のバックグラウンドやしがらみ、その時の状況・立場を通して提供されるので同じデータを使っていたとしても人それぞれ受ける印象や導き出す結論は一定ではありません。100人いたら100人とも異なる分析結果=情報がでてくる可能性もあります。よって再現は、ほぼ不可能です。

また、ややこしいのですが人の”立場によっては他人のアナウンスメントをデータとして受け取る人、受け取らざるを得ない”もいます。

例えば、何処かの研究所が何らかの実験を行ったとしましょう。その実験をもとに論文・レポートを書き公表します。この時研究所の人たちにとっては実験で得られた数値がデータであり、論文・レポートがアナウンスメントになります。

しかし、報道などでその論文・レポートを得た人々にとってはその論文・レポートはデータとして既に持っている情報と照らし合わせ、活用・加工し、何らかの意思決定を行うといったことです。

インターネットが普及した今は情報は昔に比べて入手しやすくなりました。ネットで検索すれば、目的に見合ったヒントが山のようにでてきます。検索結果として出てくる情報は、他の方が行ったアナウンスメントの結果なのですが、これらは私たちにとってはデータです。それを取捨選択し、自分の目的に合った情報に加工します。そのままコピペ、なんてのもあるかもしれませんが。

つまり、インターネットで検索結果に表示される情報に関して言えば、

発信者にとってはannouncementであり、検索した人にとってはdataであると言えるでしょう。

冒頭の事例の場合はどうでしょうか。発信者が事実ではないと知りながら、実際の話としてアナウンスしているのであれば批判されても致し方ありませんがそれでも公の場で断罪されるのは行き過ぎだと思うのです。教訓だとか、人生における示唆だとか、そういった種類の情報に対して「事実とは異なる、全くの嘘」であるから信用するに値しないと決めつけるのはナンセンスだと思うのです。
踏み込んでいえば、示唆に富んだ情報(冒頭事例は、一種のジョークとして受け止められて良いと思います)を拡散したら「事実ではないから」と断罪し、悪い意味での「デマ」として決めつけ、責めることが当たり前の社会というのは窮屈で歪です。

冒頭で引き合いに出された事例というのは、伝説・昔話・口承文化の部類に分類されるべきであって「その事実」が本当のことかどうかよりもそれが言わんとしていることをいかにくみ取れるか、に情報発信者と情報受信者双方にかかっているのではないかと考えるのです。

簡単に言えば、人が知らないような地域の伝説・伝承を「良い話」として紹介したらその人はデマを流布したとして批判対象になるの?

ということです。(伝説・伝承は「本当にあった話」として信じられていることが多いですしね)

今の社会はスピードが速いのでちょっと前のことでもすでに伝説・伝承として語り継がれるという現象があってもおかしくはありません。
もちろん、自分の都合の良いように実際の事実を捻じ曲たり、ないことをあったかのように表現し、誰かを徹底的に攻撃するのが目的・目標だとしたら許されることではありませんがね。冒頭の引き合いの話でそういった意図は、少なくとも私は感じられません。

事実かどうかを判断できるのもメディアリテラシーとしては必要です。

しかし、
人がどういう意図をもって・どんな目的で・情報受発信をしているのかを考察し、見抜き、理解し、それが自分にとってデータとして利用できる価値のあるものなのか、アナウンスメントとして拡散するのに十分な情報なのかを見極めることがメディアリテラシーの本質である
と私は考えるのです。

事実ではない情報だったとしても、別に実害はないんだし、事実ではないとわかった時点でそんなに目くじら立てず、ジョークとして軽く流すくらいの余裕があってもいいんじゃないの?もっとも、事実ではない情報を流して、意図する目的のために人を操作して社会や特定の人に損害を与えるのであれば糾弾されてしかるべきですが。

その情報によって、自分も幸せ、相手方も幸せ、社会も幸せになって良い方向に向かうのなら、多少のことは受け流しましょう。それが余裕ってものでしょう。

 

JMGP0586

写真は先日行われたマラソン大会で撮影したものです。
ナミビアでは大企業がスポンサーとなり賞金付きのマラソン大会が頻繁に全国各地で行われています。今回のレースでは10kmジュニア男子の部で2位、10kmジュニア女子の部で2位・3位に入賞。
得た賞金は、学費になったり文房具を買いそろえるための資金になりました。まあ、「無駄遣いするなよー。学校の勉強のために使えよー、つかわないなら出場させないぞー」と事前に念押ししておいたのが功を奏したわけですが。

2011-12-22

ナミビアにおける北朝鮮情勢の報道と援助のカタチ

ここ直近の北朝鮮情勢がナミビアではどう報道されているのか気になったので有力紙である『The Namibian』の記事を読んでみました。この新聞社は、政党の資金が入っていないという意味で政治的には「ニュートラル(中立)」とのことです。(同僚談)

<前提知識その1>
北朝鮮と国交がない国は、日本、アメリカ、フランス等と少数である。
北朝鮮と国交があるのは約160か国 (国連加盟国は約190か国という数字を参考。)

<前提知識その2>
北朝鮮は、中国同様「アフリカにおける独立運動」を支援するという名目で アフリカ諸国への影響力を強めるため物資等を提供している。独立後も資金難に陥ってはいるが継続している。

<前提知識その3>
独立運動では、植民地支配への対抗、または否定するための思想(イデロギー)が必要であった。 当時の運動家が目を付けたのが社会主義、または社会主義的な思想である。
アフリカ社会主義というのもある。
代表的なものとしては、アパルトヘイト体制下の南アフリカ共和国での黒人解放運動が挙げられる。


12月20日の記事から。

Namibia and North Korean relations to remain positive

というのが見出し。原文はリンクを参照ください。以下抜粋・引用です。訳は私の意訳です。

"NAMIBIA’s relations with North Korea will not be affected by the death of North Korean leader Kim Jong-Il" “They are our friends,”
「北朝鮮の最高権力者の死によってナミビアと北朝鮮の関係は左右されることはないよ、彼らは、我々の友達だよ。」と政府のある人は言っています。

というのも、

During the liberation struggle, it supported Namibia’s war of liberation through material and other support to its war effort. After Independence, North Korea has supported major, and controversial, capital projects – notably the Heroes’ Acre outside Windhoek, the new State House, and now the Memorial Museum – financially and with labour from North Korea.
北朝鮮は様々な物資提供を通してナミビア独立戦争をサポートした。 独立後は、北朝鮮は主要かつ重要な首都計画( Heroes’ Acre[英雄達の地]建設、国会議事堂、そして今は独立記念博物館)を金銭面や労働力で支えている。

からです。

Heroes’ Acreの写真をどうぞ。

 

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でも、ナミビアは

In 2009 Namibia was among the countries that called on North Korea to sign the international treaties on nuclear weapons
ナミビアは2009年に核兵器に関する国際条約に参加するよう北朝鮮に求めた国のひとつである。

ですし、

Even though Namibia received a lot of support from North Korea, the Ministry of Foreign Affairs condemned the use or testing of nuclear weapons as well as the production, stockpiling, development and transfer of such weapons.
例え、ナミビアは北朝鮮から多くの支援を受けているとしても、外務省は核兵器の使用・実験・製造・保有・移動に関して北朝鮮を非難している。

というスタンスを取ってようです。

乱暴にまとめれば、

ナミビアにとって北朝鮮は、独立戦争以来北朝鮮から様々な援助うけているから恩義をがあるし、政治的・経済的・商業的なつながりを強化したい友達だけれど、核問題については北朝鮮を非難する立場をとっていますよ、

ということですね。 北朝鮮のナミビアへの影響力を垣間見た気がします。

2011-12-20

手帳からみる”管理”

新卒で入った某準大手建設会社の社長訓話(要旨)。

『11月になったら書店には来年の手帳が並ぶ。即座に来年の手帳を買うべし。
11月にもなって来年の予定(目途)が立っていないというのはビジネスマンとして恥ずべきことである。もらいものの手帳で満足するのは、意識が低い証拠である。』

これは尤も至極と、その年から11月に入ると、自分の欲しい手帳が並ぶのを今か今かと待ちながら書店めぐりしていました。この習慣は十数年たった今でも続いています。

私が好んで使った手帳は、時間管理というよりも「その日やるべきタスク」の管理をすべく左側ページに一週間のカレンダー、右側ページはノートになっているA5版手帳(見開きでA4)を好んで使っていました。転職して営業職(管理事務職兼務)となったときもバーティカル形式の手帳にしようか迷いながらも以前からの手帳を使用していました。いろいろな出版社の手帳を使っていましたが、能率手帳が一番しっくりきますね。ケイが細いのがちょっと不便を感じるときはありますが。

ナミビアに来てもこの習慣を保とうと、10月ごろに現地の大型書店等で手帳を探しました。
ここで、初めての海外生活で初めて「困った!」ことになりました。
日記帳形式の手帳しか売られていないのです。
手帳のカバーも豊富、色も豊富なのですが中身は判を押したように同じ日記帳形式で1日1ページになっているので聖書のように分厚い。持ち運びにも不便です。

日記帳式の手帳を買うしかないのかな、でもそれだと一週間単位のタスク管理の手間がかかる。一週間ぐらいは俯瞰してみたい。
時間の管理(今現在だと、授業がある時間と、空きコマの把握)も日記帳形式だと記入が大変。最悪、全てをノートに貼り付ければそれで事足りるのですが。

同僚はどうしているのだろう・・・と思い出してみると。

一人を除いて使ってない

という事実。
赴任先の校長は日記帳形式の手帳を使って予定を管理しています。勘違いで、あるべき予定を別の日に書き込んでしまい後日、「きゃーーー」と言っていたことは多々ありましたが。

同僚達は、そもそも打ち合わせ事項・決定等を自分のノート・手帳に書き込んでいる様子はありません。会議議事録は、「議事録ノート」に記されるのでそれをその都度見ればいいという考えなのでしょうか(推量)

そう考えると、これまでの出来事に合点がいきます。
自分が「いつまでに」「何を」すればいいのかという社会人として当たり前(と少なくとも、日本人である私は考えている)のことを把握していないので約束の時間には遅れる、イベントの開始時間になって初めて準備を開始する等の仕事のアラが出る。時間の逆算をしていない、仕事の段取りにどれだけ時間がかかるか把握していない。

事務手続き、例えば成績表の発行に関しても

  1. 印刷された成績表を
  2. 宛先が書かれた封筒に同封する

という手順に「新学期初日の登校日時が書かれた手紙を同封すべし」が朝のミーティングで追加のアナウンスがされたにも関わらず手順をすっ飛ばしてしまうという事例が発生したのもメモをしなかったからでしょう。
(追加された項目が印象に残ってしまった同僚のクラスは「新学期初日の登校日時が書かれた手紙」だけを封筒に入れて送ってしまったため、成績表が届いていない、という苦情もあわせて来ていますが・・・。)

自分のタスクを把握していない(本人たちは完全完璧に自分のスケジュールは把握していると思い込んでいる)から”I’m busy.”といって頼まれごとをから逃げたり、人に押し付けて多忙感に満足してしまっている現状は落胆させられます。(まあ、これは日本の会社でも多々ありますね。)
人間、「忙しい」って言っている間は華。まだ余裕と余力があるんです。
本当に忙しい人は「忙しい」って言う余裕すらないですから。

ナミビアで手帳による(スマホでもいいですが)タスク・スケジュール管理が根付けば、仕事のプロセスに変化もでてくるんじゃないかな。
この習慣は小さなことですが、全国的に広まればもうちょっと一日の課題というものを意識した行動がとられるのではないかなと思うところです。
(これは大いに自戒の念も含めて、のことですが。)
そう考えると、問題解決の糸口というのは多かれ少なかれ世界共通だったりして。

今の職場で流行らせてみよう。できることから一つずつ。一歩一歩。

"You will never find time for anything. IF you want time, you must make it"
by Charles Buxton

2011-12-12

ナミビア、アフリカへのある愛の形。~物事変わるに50年?~

青年海外協力隊の一員として、アフリカの”優等生”国で活動してそろそろ1年。
1年経つと活動の成果等を報告する「第三号報告書」を書くことになっております。

それを書いている途中、もやもやしていたものが形になったような気がしました。
報告書には書ききれないのでこちらに書いているわけです。

あくまで私個人の分析であってJICA並びにその他関係機関・関係者の意見ではありませんので悪しからず。これをお前が言うか?!立場考えろ!なんてお叱りも覚悟。
勝手を承知で物事を客観的に俯瞰して見た結果です。


先ずは雑感から。

<産業とビジネス>

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100207 の記事がヒントになりました。

歴史を紐解くと、アフリカ諸国が独立の春を迎えたのは1960年代で日本ではちょうど高度経済成長の真っただ中でした。
独立を勝ち取ったアフリカ諸国への政治的・経済的・人道的な観点から世界各国による援助が始まったという認識でおります。
その援助を継続すること約50年程、つまり半世紀の歴史があるわけです。これだけ続けば、被援助国側でこの援助自体を”産業”として見る人も出てくるでしょう。
一方、援助側はこれを「ビジネス」として見る人がでてきてもおかしくないわけです。

援助する側として糊口を凌ぐことができるのであればできるだけその仕事を継続し、あわよくば広げたいわけです。(お前も同じ穴の貉だろ?と言われれば、否定はできません。ボランティアとはいえ、国際協力組織の一員ですから。)
ここに予算獲得を目的とした「仕事のための仕事」がつくられることになります。
所謂官僚的世界ができあがります。予算獲得至上主義、とでも命名しましょうか。

受け手としては産業として、送り手としてはビジネス(口に糊する手段)として、ある意味WIN-WINの関係が出来上がった、というなるべくしてなったとしか言いようのない構造が指摘できるのです。

日本が、とはいってませんよ。
日本はどちらかと言えば「自国の直接的な金銭的・資源的利益を脇に置いておいて、支援する」ことに重きを置いている世界から見たら稀有で貴重な(奇特な)存在だと思います。かといって上のことがない、とは言えませんが。

というのも、全ての世界・業界にWIN-WINの構造があるからこそ、それらがこの世に存在しているのですから。


<資源国と非資源国への分配の不平等>

例えばソマリア。豊富な資源をもっていません。ソマリアはず~~と内戦が続いています。
戦っている当事者も、「自分以外は全部敵」の認識で四方八方それぞれの組織と戦っているようです。泥沼です。また、ソマリアは海賊で有名です。討伐の対象になり、各国が軍隊等を派遣しておりますがソマリア国内にどうこう、というのはニュースを見る限り見えてきません。
これに対し国際社会はニュースになるような目立った行動を取っておりません。
唯一ケニアが、観光などでケニアを訪れている外国人に対する誘拐事件多発(当然、越境して誘拐しております=国境侵犯)にキレてソマリア武装グループを攻撃しているくらいでしょうか。なんで根本的解決を目指さないのだろうと不思議に思います。
過去には、ルワンダでのジェノサイドもこちらの部類に入ると思います。

一方産油国であるリビアでは、反欧米諸国の旗手だった故カダフィ大佐がデモをする市民を鎮圧しようと動くや否や先進諸国が中心となり軍隊を派遣しあれよあれよという間にカダフィ政権を倒してしまいました。
カダフィ氏を擁護するわけではありませんが(デモを鎮圧する動きを見せた時点で政権を握るものとして不適格者となったというのが私の考えです。)彼はもう一つの顔を持っています。それは「アフリカの雄」です。AUの結成に多大な貢献をしています。
任地では彼の死を悲しんでいる人もいるくらいの英雄なのです。ちなみに、同僚等にこの事件の感想を聞いてみると「ああ、また西欧諸国が自分たちに不都合な存在を力で消しちゃったよ」的な意見が圧倒的多数でした。

資源を持つ国と、持たない国の間の分配の不平等が半端ないのが国際政治の特徴なのでしょうか。メリット(資源)が得られないのに自国の国民を犠牲にしてまで、何かするという政治もたまったものではありませんがね。
ただ、釈然としないだけです。

2011-10-26

「繋いでみよう」企画

青年海外協力隊の活動の一環として赴任国ー日本(隊員各員の地元等)との交流を提供している隊員が沢山いる。
これをもうちょっと発展させることはできないかと考えた。
つまり、赴任国ー日本という一本の交流の道ではなく、隊員それぞれの赴任国同士をも結ぶというもの。赴任国ー日本での異文化理解・文化交流だけでなく、任国同士で異文化理解が目的である。

我々隊員は活動の成果を日本へ還元していくのが本来であるが、
「日本から来たボランティアが日本以外の国との交流をおぜん立てした。交流した国にはやっぱり日本のボランティアがいた。世界中に日本人のボランティアがいるんだ。」
と体験者に実感してもらうことも直接的ではないにせよ、日本への活動成果還元の一つではなかろうか。

主な交流方法としては

  1. E-mailなどを利用した文通
  2. スカイプ等での同時双方向通信
  3. 伝統舞踊等をビデオに撮影しビデオ交換

等である。
これら方法を状況と目的に合わせ、組み合わせて使用するのが一番であろう。

(ビデオ撮影等はデジカメの動画機能でも十分である。)

問題点

  1. インターネットに常時接続可能な環境があるかどうか
    →解決案の一つ:現地JICA事務所のインフラを使用させてもらう。
  2. 交流方法3を選択した場合、膨大になるビデオファイルをどこに保管するか。YouTube,Facebookの動画が観賞に耐えられるのかどうか疑問。安全上の問題もある。→この交流企画のために専用のSNS立ち上げ等ができないだろうか。
    JICAに話を持っていき協力を仰ぐ必要がでてくるかもしれない。
    → 有志でサーバーを立ち上げ、SNSを運用する。企業等から広告料をとり運営、得た利益をそれぞれの赴任先に還元できないか(還元方法は別議論)NGO・NPO化
  3. 交流する国のマッチングをどうするか?
    →SNSのような形をとりそれぞれが希望する国へ各個申し込み調整するのが楽ではなかろうか。
  4. 企画に参加する隊員への過度の負担になる可能性あり

以上、アフリカの某国に派遣されている隊員の活動、私が現在行っている「合唱でつなぐ日本とナミビア」企画がヒントとなりました。

この件、動いてみようと思います。

2011-09-04

ODA考察

ナミビアの代表的な新聞である”the namibian”に大変気になる記事が掲載されたので紹介しす。”Japan aid at risk”[日本からの援助が危機に]というタイトルで、内容は2007年にナミビア大統領が来日され当時の福田首相と会談したときに決まったとされるウォルビス港(Walvis Bay)コンテナターミナル整備計画にまつわる不正疑惑です。以下、記事の内容。

日本はこの事業の予備調査のために200万米ドル(USD1=JPY80として1.6億円)を投じ18の企業がこの予備調査の仕事を取るべくpre-qualification((入札参加資格審査とでも訳します)というに参加しました。もちろん、この事業のためにODA有償円借款も投じられます。入札参加資格審査を行ったのはナミビア(国営企業のNamPort)側です。ここで異常事態発生です。企業数18のうち参加資格を得た(short-listed)のはCHEC[China Harbour Engineering Company]たった一社。それを知った南アフリカ大使館はどういうプロセスでこの決定がなされたのかナミビア首相へ事実確認のため面会を要求。しかしナミビア政府側からは首相不在とのことで現在まで返答なし。The namibian の記者がNamPort側の責任者に取材をしてもこの件に関し誰と交渉をしたのかこれまた返答なし。日本側は、ナミビア政府側に説明を求めております。きちんとした説明がないのならODA有償円借款の件は中止となることを考えている。The namibian ではこの件をナミビアのある汚職事件に絡めています。この汚職事件はナミビア政府高官がレントゲン機器納入に関し中国の企業から賄賂をもらって便宜を図ったとされる事件です。記事は「ナミビアは日本側の援助を昔からの友人である中国に渡した」疑いがある、と締めくくっています。

ここから以下は私見です。JICAや日本政府の見解を示すものではありません。また私はこの件に関しJICA、またはJICA関係の職員からお話を伺ったわけでもありません。
ナミビアはアフリカの優等生ともいわれるくらい政治的には安定した国です。しかし独立してから21年しか経っていません。この独立には中国・キューバが大きく関与しております。ここらへんの歴史についてはWiki等をみていただくと面白いと思います。特に中国は独立闘争(戦争)の際、現政権であるSWAPOに大量の武器を供給しております。概して言えばアフリカの国々の独立の影に中国あり、と言っても過言ではないでしょう。独立の影の律役者としての中国。独立後は一般社会に中国企業(大企業から個人経営企業まで)が入り込み その影響力を経済面で遺憾なく発揮しています。アジア人=中国人というイメージが一般社会に浸透しております。彼らは粗悪な製品(そしてコピー商品)を一般人が手に届く価格設定で提供しています。
ここナミビアでも状況は同じです。第二次産業の製造拠点といえるものがない。中国製品の他は、南アフリカかザンビアからの輸入品が多いです。しかしこれらは価格が高め。粗悪といえども手に届く価格設定である中国製品を買わざるを得ない状況なのです。中国企業大儲けで一人勝ちです。ナミビア人は独立を手助けした中国に感謝している一方、経済面を牛耳られていることに良い心象を持っておりません。相反した感情を持っていると分析しております。
大型の建設現場に建てられている看板も中国企業の名前が入っています。ここに問題点があるのです。大型公共工事の殆どに中国企業。そこにも記事にもあった「黒い疑惑」がつきまとっているのです。経済面で優位にたった中国企業は献金等で政治家を操っているのではないか?と。民-民の付き合いならそれはそれで仕方ないことだとは思います。日本にも接待なんてものもありますし。しかしこれが公共工事だとそうは行かない。さらにこの件は日本の税金が使われているのです。このままだと日本はナミビアという国を経由して中国にお金をあげてしまったことになります。
コンテナターミナルというモノは残りますがそれがどのくらいナミビアのためになるのか?ナミビアに技術は残らない。技術を残すにはどうしたらいいのか?ハードだけでなくハードを作る過程におけるソフト面(技術、ノウハウ、マネジメント)を強化するのが今のナミビアには必要だと思うのです。
今回の件はコンテナターミナル整備の事前調査としてコンサル一社が最終候補名簿に載ってしまったということですが、一般的にいえばコンサル会社の後ろには懇意にしている建設会社がいます。中国系コンサルがこの仕事を取るということになれば、事前調査が済みいざ整備工事が始まる際には中国資本の建設会社が工事を落札するでしょう。
こういう状況であればまだ、「紐付きODA」の方がまだましだと思うのです。完全に紐付きだと中国資本か日本資本に変わっただけでナミビアのためにはなりませんが、例えば日本の企業とナミビア資本の企業がJV(JOINT VENTURE)をつくって技術移転を含めて事業を展開するのはどうだろうか。技術移転には時間と手間がかかり、日本の企業がそれに応じるられるかどうか疑問は残るところです。しかしCSRが一般化した今、企業が立地する狭い範囲への社会貢献だけでなく広い視野での社会貢献も検討される余地があるのではないかと考えます。ナミビア側では数社が集まりその中から技術者を数名選定しJVに参加する。ナミビア人技術者が所属する会社(組織)に学んだ技術を水平展開できればすばらしい効果を発揮するかと思います。
理想論ですかねぇ・・・。
日本の企業もCSRを掲げるなら、日本国内だけに目を向けるのではなく世界にも目を向けてほしいです。発展著しいBRICs諸国もいいですが、競争多寡になるのは用意に予想できることです。次の市場はアフリカであると私は見ています。現地に工場を作り、現地の人を教育・採用し、現地で消費してもらう。製品価格が高く現地の購買力では無理ならば欧州諸国に輸出。日本企業の教育担当者が少しでも楽になるようにJOCVが初等教育から高等教育の機関に入り込んでいる・・・そう考えていただくのは無理な相談なのでしょうか。

2011-04-11

バランス

IMGP4024

金曜日、普段の勤務時間は15時までなのですが、この日はweekendということで13:10に終了。同僚教師も週末を楽しく過ごすべく首都に上ったり里帰りしたり、経営している農場(ファーム)にいったり。
私はというと、最近パソコン修理依頼、第二パソコンルーム(仮称)設置計画+既存パソコンルームの清掃整備計画の工程表見直しのため学校で残業。

2011-02-22

任地でしてみたいこと[見つけた仕事]リスト(順不同)

 

IMGP3219

左の写真は、登校時に通る道です。

大好きな眺めの一つ。

  • PCルームの整理整頓
    • 全30台のシンクライアントシステム。備品はきれいなのだが部屋が雑然としている。特に配線周りがまるでスパゲッティ
  • K.W.P授業のスライド作り
    • テキストに則って、スライド作り。幸いプロジェクターはある。
  • 同僚教師へのパソコンの使い方講習
    • 同僚も業務へPCを使うことを考えているのだがスキルが追いついていない。教師専用として用意されているPCはあまりに古く使用に耐えない。
    • 同僚教師がPCルームを使用して教材を作ることができるようにアカウント等の環境整備も必要
  • PCルームのオープン化
    • 現在、PCルームを使うことができるのはKWP履修している生徒と一部教師(KWP担当)のみ。できれば他生徒・他同僚にも開放したい。
    • 上記達成のため、先ずはシンクライアントシステムを上手に運営できるためのルールづくり。シンクライアントシステムとスタンドアロンのPCをごっちゃにして考えている(=生徒がシステムフォルダを壊しちゃったらどうするの?)のでここのところの誤解を解くための仕組みづくり。
  • カウンターパートへのPC管理法伝授
    • 幸い、カウンターパートの教師は、パソコンをひと通り扱えるのでサーバーの管理に興味を持たせるにはどうしたらよいのか考え中。
  • 寮(ホステル)内の美化
    • ナミビア流ごみ処理>>基本的にポイ捨て。特に生徒。生ごみだけでも集めてコンポスト化したい。蝿を激減させたい。
    • 地道に食堂兼自習室のゴミ拾いをしたせいか、寮を管理している人もそれに気づいてくれて自習時間五分前に「ゴミをひろえ~」と生徒にアナウンスしてくれるようになった。ありがたい。それを受けて私はゴミ箱であるドラム缶を生徒と一緒に自習室の前まで運んでいる。
  • マラソン部運営
    • マラソン部の運営を円滑化させたい。寄付をお願いするしかないのか?
    • 前任は同僚教師に生徒の送迎をしてもらっていたみたいだが、同僚教師が行ったある行動のために校長から禁止令。次からどうやってドライバーと車を見つけるかが課題。
  • ネット環境整備
    • 学校内に、ネット環境はない。予算不足が原因である。いかにして解決するか?
  • 算盤の輪を広げる
    • 算盤の輪を広げるにはどうしたらいいのか。目下の課題は、生徒に時間がないということである。遊ぶ時間を削ってまで勉強したくないというのが生徒の本音だろうし。毎週金土を使ってそろばん教室計画かなぁ。
  • 自身の英語のレベルUP
    • 言いたいことを自由に表現できるようにしたいです。にしても、ナミビアの方々の言語能力の高さには驚く。普通に4言語使って日常生活を送ってる。

2011-02-09

2月6日に書きました。

さてさて、任地に到着して6日目。体の方はなんとか慣れてきました。
町の方々にも徐々に名前を覚えていただいております。感謝感謝。SUZUKIのおかげです。・・・・私はというと、顔はなんとか区別できるようになりました。名前えっと、発音できません!!!
英語のテキストなどで出てきているような名前は覚えられるのですが、それ以外はてんでダメ。何とかしないと、と焦り始めています。

この記事を書いている時点で、実はネットにつなげられていません。繋げられるようになったらまとめてUPする予定です。ネットができないので夜の21時まではHOSTEL(寮)をうろついて、生徒とおしゃべりをして過ごしています。とはいっても平日19時~21時のあいだは生徒の宿題タイムなので、食堂に集まっている彼らの勉強を見て回っています。主に数学・物理(といっても算数に毛が生えたような問題)。G8(中学1年生)で、指数なんかもやっているので面食らってます。
生徒は、「答えを教えて!」と言ってくるのですが私は「おしえな~い!」とイケずしてます。代わりに教科書の重要ポイントと、回答までのヒント(道筋)をこれでもかとばかりに単純化して示しています。数学英語を知らないというのもあるのですがね。いや~数学は言葉なしでも数字と数式でなんとか通じます。偉大だ。


そうそう、「やりたいことリスト」の一番最初にリストアップしている「ソロバン計画」
その手始めに生徒からの質問の際に行う計算を暗算でやってます。ソロバンをだして生徒の注目を浴びる=生徒が宿題そっちのけで関心をもつのは、現地の教師側から見て好ましく思われないとの判断です。暗算は指を動かすソロバン暗算方式。これみよがしに、大袈裟に、指を動かして計算してます。たまーに生徒が「先生、なにしてるの?」の目で見るのでしめしめ、といった感じです。(私語厳禁なので、生徒は宿題に関する事以外で私に話しかけられれないのです。)

さて、それ以外の時間はといいいますと、「写真は印象が新鮮な時に撮れ」とNTCで教わった気がしているので写真をとってます。ちょっと公開。

 

IMGP3007(1)

IMGP00001(2)

IMGP00002
(3)

(1)目視できる遠くで降っている雨

(2)夕焼け 2月6日

(3)虹 2月6日

以上です。

2011-02-03

赴任3日目

USAKOSへ移動したのが2月1日。


当日
挨拶後、部屋に移動。前任のボランティアが使用していた部屋と同じだったのだが問題が山積。特に「あちゃ~~」だったのが、ゴキブリ天国だったこと。残しておいてくれた食器・道具類はゴキブリの糞まみれ。さすがに使う気は失せたのでちょっと散財。食器・布団一式を購入。
で、部屋の掃除も必要だったのですが、これはありがたい事に生徒(女)3名が手伝いを申し出てくれてプロ顔負けの手際の良さ。感動してしまって(ホントありがたくて涙が出た)一人20NAD(昼飯約2回分)+ジュース1リットルを報酬として渡す。
ほんと、彼女たちがいなかったら多分夜中までかかっていたであろう片付けを手早く終わらせることができました。

2日目
学校へ行って、再び挨拶。
コンピュータ室に入り、噂のシンクライアントシステムの性能を見てみた。
うん、動かねぇ・・・・。
起動してもフリーズ。
そのうち授業が始まって、もうグダグダ。
しょうがないので、キーボートだけでタイピングの練習。カウンターパートの先生の授業を事前に見ていたのでそれをアレンジ。
アルファベットを順に読み上げてキーボートのキーを叩くだけでは生徒も面白く無いだろうから先ずは私の名前、次にカウンターパートの先生の名前、挙手をさせて生徒の名前。
飽きてきたところで、「ナミビアで一番有名な歌手の名前」を白板に書かせ、それをネタに練習。結構うまくいった気がする。カウンタパートの先生も最初は呆れ顔だったけど歌手の名前のところで生徒と一緒になって名前を言ってくれてこっちのペースにハマってくれた模様。

食事について
朝は、コーンフレーク+フルーツジュース
昼は、生徒と同じく一個1NADのパンを2個
夜は、基本パスタorパン+肉(約7NAD)+フルーツジュース
だいたい30NAD位ですませされるように調整。しばらくは調味料等買い揃えなければならないだろうから、揃うまではワンパターンな食事になりそう。

学校は月曜日から金曜日まで。
土曜日はお休みなので、これを利用して部屋のアレンジをと考えています。
寮の物置に、机があったのでそれを綺麗に洗って加工して搬入。
蚊帳のセットアップ。
余った時間で、街の様子をカメラに収めようかな。

2010-11-28

「民主的」や「民主主義」という言葉の意味について(2)

前の記事よりの続き

民主主義図

次は、4つのカテゴリである、自由ー全体主義・集団ー全体主義・集団ー民主主義・自由ー民主主義についての私の解釈を述べたい。ここでは、実際にどのような形態が取られているかで判断する。つまり、例えば「我が国は自由民主主義に基づいて国づくりを行っている」と唱えていても実際の政治形態・行動様式が異なっていれば自由民主主義国家として区分けを行わないという意味である。

まず、自由ー全体主義は性格上真逆なため存在し得ない。現代において、また歴史上をみてもこの性格を持つ国家は未だかつて存在はしないであろう。

集団ー全体主義の性格を持つ国家は、例えば一党独裁による強権的支配を行っている国に多く見られる形態であろう。たとえば、戦前の日本国もこの形態を取っていたと考えられる。この集団ー全体主義は、その性格に極めて親和性があるためある意味強固な社会をつくることができる一方、国際協調・国際平和の観点から著しく逸脱した方向にむかう決定がなされた場合、その行動を止めようとする大きな勢力が生まれにくく、他国の外交努力(圧力)が自重を促す唯一の手段となりうることに注目したい。

集団ー民主主義の性格を持つ国家は、アジア・アフリカ等血縁・地縁を重視する地域に多く見られる。投票による選挙を行う場合、住んでいる地域・所属している集団に縁のある候補者に対し投票を行い、その候補者の政治的見解(政策)はほとんど、あるいは全く重要視されない傾向にある。
また、この集団-民主主義の特徴として、政治の代表者を決定する場合投票ではなく別の方法を採用する可能性もある。例えばその土地・地方の有力者、部族の長などがそれぞれの集団を代表するものとして国政に携わることも、(その集団を構成する人の理解と同意さえあれば~つまり伝統的支配~)可能であり、これもひとつの民主主義の形態であると言える。

最後に、自由-民主主義について。この政治的形態を唱える国家/社会は数多くあり枚挙にいとまがない。しかしながら、自由と民主主義は相反する性格を持っているため、ともすれば集団民主主義や集団全体主義に移行しやすい傾向にあるといえよう。
この形態を維持するのは難しく「どのようにバランスをとるか」を常に考慮に入れておかねばならない。つまり、個人の利益と自由をを最大限に守りつつ、いかに民主的に個人の自由を制限するかという矛盾した命題に常に直面している、ということである。(つづく)

2010-11-14

「民主的」や「民主主義」という言葉の意味について(1)

NTCにて訓練中です。集団生活をしていると様々な意見の衝突に出くわす。殆どの人にとってこの衝突こそがストレスの原因となっていると思われる。
さて、表題についてとても気になった ~言葉を選ぶ必要はあるけれどあえて言えば「ほんとにあなたは日本人として日本の標準的な教育を受けたの?」と尋ねたくなるくらいの衝撃があった。(それはお前だ!いうツッコミ歓迎)いや、そう深刻に考える必要はないかもしれないけれど少なくとも私にとっては非常に大きな違和感であることは違いない~出来事がありました。
午後に行われる講義の一場面。
グループにわかれて討議・討論・検討中に「ここは多数決で決めましょう。民主主義です」
「民主主義的に、多数決で(決めましょう)」なんて言葉が飛び出した。さも当然のように。
この言葉を聞いたとき思わず絶句し、次に指示されている行動に移る気力がなくなった。『ちょっとまて。あなたにとって「民主主義=多数決」なの?本気でそう思っているのなら悪いことは言わない、海外にでる前にもう一度復習をお願いしたい。』当然、私の表情は「ムッとした」表情になっていたと思われる。
・・・以下述べることは間違っていて復習が必要なのは私かもしれないが・・・・

2010-10-29

所外活動第一日目

_IGP0663.PEF久しぶりの更新である。本日は「二本松カトリック幼稚園」にお伺いし、勉強をさせて頂けた。
事の次第から話すとなると、なぜ「カトリック」で「幼稚園なのか」ということから。

なぜカトリックを選んだか?

それは、自分が育ってきた環境には全くと言っていいほど「キリスト教」が存在せず、しかも私は高校まで公立学校・大学も特定の宗教に拠っていなかったので、教育と宗教が結びついている状態が想像できなかったのである。また任国に入る前に、キリスト教の影響下にある幼稚園でどのような幼児教育をしているのか非常に興味があったのもある。

なぜ幼稚園なのか?

幼稚園に入るなんてそうそうない経験である。任国に行ったら子供に囲まれる機会もあるだろうし。現在の生活パターンでは子供に接する機会なんて全くない!
あと、個人的なことなのだが甥っ子が1~2歳くらいの時に泣かれた経験がトラウマ。
克服するぜ!というのが理由である。

時系列的に

9時頃到着。リーダーの高橋さんと正面玄関から「お邪魔します。よろしくお願いします」と挨拶したことはしたのだが既にその場は戦場であった。雨にもかかわらず、芋掘りに出かけるらしくてんやわんや。が、園長先生はじめ先生方は慣れたもの。統率も取れていて「すげー」と素直に感心していた。

芋掘り組が出発完了。出番である。自己紹介の為に紹介を頂いたのだが「JICAの先生」・・・子供にはJICAなんて解らないかもしれないねー。JICAという言葉は子供たちにとって呪文みたいな感じになっているんだろうなぁ。なんてつらつらと思っておりました。子供たちがJICAと言う言葉を理解しているかどうかは確認せず・・・。
自己紹介はちょっと時間をかけ「やさしく」をモットーにやっていた。名前を一文字づつ読んで次に通して読む。ゆっくりゆっくり発音。私の地声は大きいので「驚いて泣かせちゃったらどうしよう」なんてビックビクしてました。

教室内で自由行動+ホールで遊ぶ+ゲーム
パワーに圧倒されておりました。そのうち、コツのようなものをつかんだ・・・のかもしれない。鬼ごっこ。身体的には遊べたが、意思疎通(コミュニケーション)をとるまではいかず反省。名前もなかなか覚えられなかった。まだまだ余裕がない。

つづく。