2012-02-22

ウソの情報、ホントの情報。

Facebookでみかけた「ハーバード大学図書館、朝4時の風景」「ある航空会社の神対応」

どちらも事実ではない記事だそうな。事実ではない=作り話、です。

これに対して悪い意味でデマと断罪し、これらの話をフェイスブックのシェア機能やTwitterのリツイート機能を使って拡散してしまった人も含めて悪いことだと嘆き、警鐘を鳴らしている方もいらっしゃいます。

私は、この警鐘に懐疑的なのです。

人が手に入れられる情報(information)には二つの種類があります。

一つ目が実験、調査などで得られた素の「生の情報」=データ(data)
これは数字などで表され、ほとんどの場合再現可能なものです。

二つ目がデータを解析・分析して得られる「結果の情報」=アナウンスメント(announcement)
これは、データをもとに生身の人間がその人のバックグラウンドやしがらみ、その時の状況・立場を通して提供されるので同じデータを使っていたとしても人それぞれ受ける印象や導き出す結論は一定ではありません。100人いたら100人とも異なる分析結果=情報がでてくる可能性もあります。よって再現は、ほぼ不可能です。

また、ややこしいのですが人の”立場によっては他人のアナウンスメントをデータとして受け取る人、受け取らざるを得ない”もいます。

例えば、何処かの研究所が何らかの実験を行ったとしましょう。その実験をもとに論文・レポートを書き公表します。この時研究所の人たちにとっては実験で得られた数値がデータであり、論文・レポートがアナウンスメントになります。

しかし、報道などでその論文・レポートを得た人々にとってはその論文・レポートはデータとして既に持っている情報と照らし合わせ、活用・加工し、何らかの意思決定を行うといったことです。

インターネットが普及した今は情報は昔に比べて入手しやすくなりました。ネットで検索すれば、目的に見合ったヒントが山のようにでてきます。検索結果として出てくる情報は、他の方が行ったアナウンスメントの結果なのですが、これらは私たちにとってはデータです。それを取捨選択し、自分の目的に合った情報に加工します。そのままコピペ、なんてのもあるかもしれませんが。

つまり、インターネットで検索結果に表示される情報に関して言えば、

発信者にとってはannouncementであり、検索した人にとってはdataであると言えるでしょう。

冒頭の事例の場合はどうでしょうか。発信者が事実ではないと知りながら、実際の話としてアナウンスしているのであれば批判されても致し方ありませんがそれでも公の場で断罪されるのは行き過ぎだと思うのです。教訓だとか、人生における示唆だとか、そういった種類の情報に対して「事実とは異なる、全くの嘘」であるから信用するに値しないと決めつけるのはナンセンスだと思うのです。
踏み込んでいえば、示唆に富んだ情報(冒頭事例は、一種のジョークとして受け止められて良いと思います)を拡散したら「事実ではないから」と断罪し、悪い意味での「デマ」として決めつけ、責めることが当たり前の社会というのは窮屈で歪です。

冒頭で引き合いに出された事例というのは、伝説・昔話・口承文化の部類に分類されるべきであって「その事実」が本当のことかどうかよりもそれが言わんとしていることをいかにくみ取れるか、に情報発信者と情報受信者双方にかかっているのではないかと考えるのです。

簡単に言えば、人が知らないような地域の伝説・伝承を「良い話」として紹介したらその人はデマを流布したとして批判対象になるの?

ということです。(伝説・伝承は「本当にあった話」として信じられていることが多いですしね)

今の社会はスピードが速いのでちょっと前のことでもすでに伝説・伝承として語り継がれるという現象があってもおかしくはありません。
もちろん、自分の都合の良いように実際の事実を捻じ曲たり、ないことをあったかのように表現し、誰かを徹底的に攻撃するのが目的・目標だとしたら許されることではありませんがね。冒頭の引き合いの話でそういった意図は、少なくとも私は感じられません。

事実かどうかを判断できるのもメディアリテラシーとしては必要です。

しかし、
人がどういう意図をもって・どんな目的で・情報受発信をしているのかを考察し、見抜き、理解し、それが自分にとってデータとして利用できる価値のあるものなのか、アナウンスメントとして拡散するのに十分な情報なのかを見極めることがメディアリテラシーの本質である
と私は考えるのです。

事実ではない情報だったとしても、別に実害はないんだし、事実ではないとわかった時点でそんなに目くじら立てず、ジョークとして軽く流すくらいの余裕があってもいいんじゃないの?もっとも、事実ではない情報を流して、意図する目的のために人を操作して社会や特定の人に損害を与えるのであれば糾弾されてしかるべきですが。

その情報によって、自分も幸せ、相手方も幸せ、社会も幸せになって良い方向に向かうのなら、多少のことは受け流しましょう。それが余裕ってものでしょう。

 

JMGP0586

写真は先日行われたマラソン大会で撮影したものです。
ナミビアでは大企業がスポンサーとなり賞金付きのマラソン大会が頻繁に全国各地で行われています。今回のレースでは10kmジュニア男子の部で2位、10kmジュニア女子の部で2位・3位に入賞。
得た賞金は、学費になったり文房具を買いそろえるための資金になりました。まあ、「無駄遣いするなよー。学校の勉強のために使えよー、つかわないなら出場させないぞー」と事前に念押ししておいたのが功を奏したわけですが。

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