2013-02-21

体罰に関するごく私的な浅慮

2月14日のweb記事でこんなのがありました。

中学教諭、女子生徒の頭たたく 授業中に携帯電話触り

この記事はおそらく現在議論の渦中にある「体罰」に関して教育現場でこんなことが起こっていたことがわかりましたなんていう紹介記事なのでしょう。しかしながら、現在渦中にある「体罰」とこの記事の内容は似て非なるものだと思うのです。

一方は、体罰が選手の指導方法・指導ツールとして容認されている風潮への是非。こちらは、「授業中、教員のいうことを聞かずしかも、その後呼び出しで指導されても尚非を認めない」生徒に対する、言ってしまえば、やらなきゃいけないことをせずに携帯さわっているって人としてどうなのよ?というある種の憤り、を感じた教師による体罰。

以下、私の想像。
生徒:新しい携帯を買ってもらってうれしいなぁ。わーこんな機能がある。楽しい楽しい。あー教師がなんか言ってるけど今は授業より携帯なのさ。おっと、あの子にメール打たなきゃ。おお、ゲームもしなければならないね。わーいわーい。

教員A:今、授業中なんだけど。なんか一人携帯いじくっている生徒がいるなぁ。今解説しているところって大切なんだよな。あー、ちょっと気になる。周りの生徒も集中力切れ始めてる。ねぇねぇ、そこの生徒、携帯触るのやめて。今大切なところだからさ。人の話の最中に携帯触るのはおかしいんじゃない?ねぇねぇ、ちょっと。やめろってば。あークラス全体の空気が弛緩しはじめた。あーもう、授業になんないや。え?授業終わっちゃった?あー、計画通り授業できなかったや・・・・
(職員室にもどって教員Bに)生徒が携帯いじくっててさ注意してたら時間切れだよ。
あー、もう嫌んなちゃうね。

教員B:それはいけませんねぇ。今後そのようなことがないように指導しましょう。
呼び出し!
あれ?なにこの生徒。携帯さわったことは認めてるけど、なにこれ?は?それが悪いことだとは分からない?ほかの生徒の悪影響で授業に差しさわりがあるんだよね。いやさ、おかしいだろそれ。は?これだけ言ってもわからないの?言い訳ばかりしてるし。素直に非を認めろ~~~。パシッ(体罰発動)

ってなところでしょうか。以上想像終わり。

まず、問いたいのが「親は何を躾しているの?どういう教育しているの?」ということ。最近の日本の風潮では「トイレの仕方から、時計の読み方、友達のつくり方など躾を含めて全て学校がやるべきもの」らしいのです。親は一個人としての行動できるだけの躾担当、学校は集団行動での躾担当でしょう。学校は必要最低限とされている知識の習得のためにあるもの。それの付加価値として集団行動での躾があると考えています。

第二に、体罰が悪いのはわかっているけど、こういったケースに学校はどういう風に対応すべきなのか?ということです。昔のように、言っても聞かない生徒はパシリと叩いてわからせる、というのはダメ。で、こんこんと言って聞かせるわけですがここに落とし穴。なぜか教育現場は保護者に対して非常に弱いということ。なにかあればすぐに教育現場側が謝罪することになる。特にこの場合、義務教育の現場です。もっと強く出れないのかなぁ・・・。

義務教育とは「子弟が教育をうける義務がある」ということではありません。子弟は教育を受ける権利がある。子弟が教育を満足に受けられるよう保護者、教員、公共団体他が一丸となってその権利を阻害する全ての障害を取り除く義務があるわけです。教育を受ける権利を持つ子弟がその権利のありがたさを判らず、授業中におかしなことをやってそれが教室全体に悪影響を及ぼしているのであれば、当然、教員としてはその障害を取り除き、他の生徒の学ぶ権利を今後にわたって保護しなければなりません。

この記事の場合はその過程で起こってしまったことなのだと同情的に受け止めています。なぜ、体罰をした教師に同情をするのかって?なぜなら今私も同じ「義務教育」の場で教鞭をとっているからです。そして同じ境遇です。

こちらの生徒は非常に活発。活発すぎて授業中もずっとおしゃべり。立ち歩き、教室からの逃亡、授業に全く関係のない質問(数学の時間に日本の歌うたって!と突然リクエストが来る)いわば、「授業中とか全く関係なく、そのとき、やりたいという衝動があればそれに従う」生徒が大半です。クラスコントロールが非常に難しい。
現地の同僚教員はそれを力で抑え込みます。こちらも体罰に関する原理原則は「生徒に触るな」です。しかし力で抑え込んでいます。どうやってかというと罰則として「細い木の枝で生徒の手のひらをたたく」のが黙認されているのです。
日本の感覚だと、手で叩くのはダメで木の枝だといいの?ですが、いいらしいです。
日本でやったら体罰通り越して暴行事件モノですが。

もう一つ、日本と決定的に違うことがあります。それは学校の権力・権限が非常に高くそれを校長がもっている、ということです。校長の「暴走」を止めるためにPTAの強化版に当たる保護者と教員で構成される「学校員会」も設置されています。いわば監視役ですね。

いくら指導しても改善の兆しがみられない生徒に対してどうするか?ということですがまず第一段階が「親(保護者)呼び出し」です。親(保護者)の言うことも絶対なので、親(保護者)の目の届いていないところでどうしているのかということを親に知らせ、親(保護者)とともにお説教です。これの欠点は育児放棄をしている親(保護者)が結構多く、呼び出しに応じない親もいるということです。第二段階としては「停学」です。日本の高校と同じシステムですかね。それを義務教育に取り入れています。

第一段階を経ても改善の兆しがない生徒は、いろんな教室で問題を起こしているはずなのでその「証拠」を教員から集めます。教員はあらかじめ決められた書式(ノート)に生徒の問題行動を記録する義務を持っています。その証拠を集めるわけですね。そして、「こりゃだめだ」ということになれば、校長が学校員会にその生徒の停学に関しての会議の招集を求め、会議が行われます。そして学校員会が承認をすると、校長が「停学」の決定を行います。当然、その会議には当事者と親も呼び出され、弁明の機会が与えられているようですがここまでくると親も弁明のしようがありません。
生徒は一生懸命言い訳をしますが後の祭りです。そして、停学の記録は生徒の履歴に残ります。これは日本の高校に相当するシニアスクールでの入学許可の可否に響いてきます。響くことはわかっても、「今したいことをする」生徒にとっては将来のことなのでピンと来ていないのが残念なところです。学校行かなくてラッキーな感じになるんでしょうね。実際停学を受けた生徒は、そういう生徒が多いです。

ちなみに、一番重い罰則は「放校(学校追放・強制転校:受け入れの学校は自分で探しなさい)」というもの。私の記憶の中では、私の授業中、素行が悪かったので注意したところ「生意気だ。外に出ろ」と私に言い放ち外にあったこぶし大の石を2個私に投げつけた生徒、一人だけです。

さて、日本の場合。日本の教育現場の権限が非常に弱いのはなぜでしょう?いくら義務教育とはいえ、他人の権利を妨害してまで自分の「やりたいこと」を押し通している生徒にはそれ相応の罰則を与えるのが筋だと思うのです。
こんこんと指導(説教)している時間も実際のところ、教員にはないでしょうし。日本の教員の教務以外の雑務、非常に多いらしいですね。大変です。日本も、校長に権限を与え、言っても聞かない生徒には停学処分ができるようなシステムを導入してもよいと考えます。停学の履歴を残すようにすれば、それが抑止力になることを期待して。

市町村教育員会もいちゃもんをつけてくる親(保護者)に対してもっと強気に毅然とした態度で対応して欲しいです。なぜできないのか私にはわかりません。

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