2010-11-28

「民主的」や「民主主義」という言葉の意味について(2)

前の記事よりの続き

民主主義図

次は、4つのカテゴリである、自由ー全体主義・集団ー全体主義・集団ー民主主義・自由ー民主主義についての私の解釈を述べたい。ここでは、実際にどのような形態が取られているかで判断する。つまり、例えば「我が国は自由民主主義に基づいて国づくりを行っている」と唱えていても実際の政治形態・行動様式が異なっていれば自由民主主義国家として区分けを行わないという意味である。

まず、自由ー全体主義は性格上真逆なため存在し得ない。現代において、また歴史上をみてもこの性格を持つ国家は未だかつて存在はしないであろう。

集団ー全体主義の性格を持つ国家は、例えば一党独裁による強権的支配を行っている国に多く見られる形態であろう。たとえば、戦前の日本国もこの形態を取っていたと考えられる。この集団ー全体主義は、その性格に極めて親和性があるためある意味強固な社会をつくることができる一方、国際協調・国際平和の観点から著しく逸脱した方向にむかう決定がなされた場合、その行動を止めようとする大きな勢力が生まれにくく、他国の外交努力(圧力)が自重を促す唯一の手段となりうることに注目したい。

集団ー民主主義の性格を持つ国家は、アジア・アフリカ等血縁・地縁を重視する地域に多く見られる。投票による選挙を行う場合、住んでいる地域・所属している集団に縁のある候補者に対し投票を行い、その候補者の政治的見解(政策)はほとんど、あるいは全く重要視されない傾向にある。
また、この集団-民主主義の特徴として、政治の代表者を決定する場合投票ではなく別の方法を採用する可能性もある。例えばその土地・地方の有力者、部族の長などがそれぞれの集団を代表するものとして国政に携わることも、(その集団を構成する人の理解と同意さえあれば~つまり伝統的支配~)可能であり、これもひとつの民主主義の形態であると言える。

最後に、自由-民主主義について。この政治的形態を唱える国家/社会は数多くあり枚挙にいとまがない。しかしながら、自由と民主主義は相反する性格を持っているため、ともすれば集団民主主義や集団全体主義に移行しやすい傾向にあるといえよう。
この形態を維持するのは難しく「どのようにバランスをとるか」を常に考慮に入れておかねばならない。つまり、個人の利益と自由をを最大限に守りつつ、いかに民主的に個人の自由を制限するかという矛盾した命題に常に直面している、ということである。(つづく)

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